中森明菜 ディナショーで復帰 7年ぶり 紅白裏話 近藤真彦

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中森明菜 ディナーショーで7年ぶりに 復帰ですね

中森明菜 懐かしいですね

7年振りに 東京

ヒルトン東京お台場でディナーショーです。

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14年のNHK紅白歌合戦で披露した

「Rojo-Tierra-」

 

や「飾りじゃないのよ涙は」

 

井上陽水の歌ですね

 

そしてあの有名な「DESIRE」

 

ほんといつまでも痩せていますね

 

彼女が初めて我々の目にふれるべく

 

ブラウン管(当時はまだブラウン管です)

 

に登場したのはスター誕生でした

 

そして当時の中森明菜はとてもポッチャリして

 

なにより初々しかったです。

 

司会は萩本欽一だと思っていましたが

 

中森明菜が合格した3回目の挑戦の時には

坂本九さんだったのですね

 

 

坂本九さんといえば

 

「上を向いて歩こう」や「見上げでごらん夜の星を」

「明日があるさ」

などで有名ですが「上を向いて歩こう」

はアメリカで「スキヤキ」という

 

題ででヒットしました。

 

しかしあの御巣鷹山に落ちた、昭和60年の

日本航空123便墜落事故に巻き込まれ

 

亡くなりました。

 

中森明菜は

その坂本九さんが司会を行った

1981年 「スター誕生!」

本戦3度めの挑戦となった

 

8月2日の放送で山口百恵の「夢先案内人」

を歌い、「スター誕生」での史上最高得点

 

392点で合格しました。

 

そして翌年1982年に

ワーナー・パイオニアより

 

来生えつこ・来生たかお姉弟の

作詞・作曲の

「スローモーション」で

デビューしましたね。

 

来生えつこ・来生たかおは当時一世風靡してて

薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」

 

もこの二人の作詞作曲で

 

ピアノを引きながら来生たかおも歌っていましたが

 

薬師丸ひろ子よりもっと気だるく歌って

 

いい感じでしたね。

 

80年代 彼女はヒット曲を量産して

スターダムにのし上がりましたが

 

健康的でふっくらとした

中森明菜は大人気でした

 

しかし突然手首を切り自殺未遂を

はかりました

 

近藤真彦のマンションで

1989年の事ですね

 

いったい二人の間に何が

あったか今となっては知る由もないが

 

影に大人の都合が見え隠れしていますよね

 

まあ芸能界という伏魔殿

 

SMAPについてもそうだが

 

人気絶頂の影に悪魔が潜んでますよね

 

大金が動くからどうしても悪魔が

存在することになるのでしょう

 

スキルがあっても売れない人も

いるし

 

目立ったら目立つだけ潰しに

かかる人たちもいるし

 

芸能界むつかしいですよね

痩せてても明菜は明菜だし

 

歌唱力はありますからねえ

長く暗黒の時代もあったけど

 

これからも頑張って欲しいですね

もう少しぽっちゃりとして1