西郷隆盛 肖像画 銅像が本人とは違う 件 本物は 写真

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西郷隆盛の銅像や現存する

肖像画は全然本人とは

似ていない事は有名な話だが

 

西郷隆盛は写真が嫌いで

後に明治天皇に

一枚も写真が無いことを告げている

 

死後に彼の顔だと言われる肖像画が

多数書かれているが

 

その基本となったのが

エドアルド・キョソネ作で

その彼は

 

西郷隆盛の弟 西郷住道の目元に

がっしりした彼の甥の顔つきを

 

合成したもので

西郷隆盛の顔とは

全然違うらしい

 

この肖像画を元に上野の銅像を製作したが

幕を下ろされる一般公開の時に

招待された妻が

「こんな顔じゃ無かった」「浴衣なんかで

歩いたのは見たことが無い」

 

って鹿児島弁なんで全然その話も伝わらなかったのかも

しれないが

 

有名な話ではある

 

20110417-09

 

さてさてそんな話は有名ではあるが

実際にはどんな顔だったのか

 

本日のテレビでやってました

 

これが本物 西郷隆盛の本当の「顔」が

発見されていた

 

実際に出会って

 

 

「平野五岳」により描かれた

 

穏やかで知的な顔ですね

 

奥さんが上野の銅像を見て憤慨するのも

わかりますよね。

 

 

 

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大久保利通 木戸孝充と 西郷隆盛は

明治維新の三傑と呼ばれる

49歳で死んだんで其の頃を絵

にしたら老けてますね

 

西南戦争で自決したんですが

西南戦争もなんて行われたか

 

あまり知りません

 

デジタル大辞泉によると

 

明治10年(1877年)西郷隆盛らが

鹿児島でおこした反乱

征韓論に敗れて帰郷した

 

西郷が士族組織として私学校を結成

政府との対立がしだいに高まり

 

ついに私学校生徒らが西郷を擁して挙兵

熊本鎮台を包囲したが

政府軍に鎮圧され

西郷は郷里の城山で

自刃した。

 

明治維新政府に対する

不平士族の最後の反乱

 

西南の役

 

良くわかりませんねえ

 

まあ江戸時代から

明治維新で明治になる時に

 

刀が持てないとか

髪型や服装が変わったり

 

藩が県になったり環境が一変しましたからねえ

 

今の様にスマホや携帯やテレビが

あるわけでも無く

情報の発信やお達しや情報の取得や

今の状況で比べるべくも

 

無いですから

国民はみな戸惑ったでしょうね

 

江戸時代が良く長く統制出来たものです。

 

みんな情報難民なのに

 

とめどもない話になりましたが

西郷隆盛の本当の顔は

 

もう少し穏やかで知的な顔だったと

 

そういった画が保存されて言うrと

それだけです。

将来銅像が立ちそうなお人は

 

写真を沢山撮ってて下さいね

 

あまりアプリで盛り過ぎない様に

 

銅像建ってから奥さんに(旦那さんに)

 

ちっても似てないと指摘されないようにね!